東京六本木ロータリークラブ




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卓話『新しい視点で防災のリハーサルを!』2026年2月2日

映画監督・株式会社ON-WORK代表 古波津 陽様

映画監督・株式会社ON-WORK代表 古波津 陽様

映画監督として長年エンタメ業界にいるわたしが福島に関わるきっかけとなったのは非常にシンプルで、2011年の東日本大震災でした。新福島変電所は、地震でダウンしてしまったことによって福島第一原発にエネルギーを送ることができなくなりメルトダウンを起こした原因のひとつにもなっている場所で、関東に電気を送り続けてくれていました。この話を知り、知らなかったでは済まされないと思いました。エンタメ業界では一般家庭とは比にならないくらい電気を使い続けてきました。それをずっと福島第一原発が支えてくれていたと言ってもいいわけです。それが爆発してしまった時、誰かが悪いとかそういう話ではなく、そもそもわたしたちがずっと享受していた便利さに対して請求書が届いてしまったのだと感じました。

事故後、テレビや新聞でたくさんの情報が流れ、避難した方々を差別する意見や、福島の農作物に対する風評被害が飛び交いました。そして情報がありすぎるが故に正しい情報を見つけることが難しくなってしまいました。声の大きな人の議論ばかりが聞こえてきて、一番肝心な福島で生活している人の声が届かなくなってしまったのです。そこで始めたのが「1/10Fukushimaをきいてみる」という取り組みです。福島の方々の声を聞き、わたしの得意技でもある映画という技術を使って形にしていきました。もちろん福島になにかを届けようという支援もたくさんありましたが、わたしは福島の人たちの声を外に届けるという支援を選びました。そのために気を付けなければいけなかったことは、結論を出さないということです。なにも決着していない中で結論を出すこということは、間違った方向に導いてしまいかねないと思いました。ただ福島の方たちの声を丁寧に聞き、そしてそれを丁寧に伝えていく。そのような映画の上映会を10年間繰り返してきました。

わたしは原発反対運動をしたかったわけではなく、長い目で見ないと分からないことのために一度きりにしたくありませんでした。そのためにみんなで福島の今を聞いていこうと、毎年無料上映で新作を届ける仕組みを作りました。無料上映と言いながらも会場に来られた方たちからの寄付によって成り立っていた活動ですが、右肩上がりでお客さんが増え、おかげさまでそれだけで活動を支えていただけるようになってきました。

情熱だけではなく仕組みを作って続けたこの活動は、気が付くと10年が経っていました。人生の苦境を乗り越えた人の言葉、自問自答を繰り返して導き出した生き方、選びたくない人生を選択した生き方、なんとか前に進まなければいけないと絞り出す言葉はとても貴重で、最近では学校や自治体で学びのために使っていただけるようにもなりました。

そして福島県ホープツーリズムに組み込んでいただきました。負の遺産をツアーとして学ぶダークツーリズムと同じですが、福島の未来や希望を考えられるようなツアーにしたいということでホープという言葉が使われています。今福島県では年間1000本のツアーを行っており、その中の1本をわたしが担当させていただいています。映画を関西で宣伝してくれている灘高校の先生から「モヤモヤは人を成長させます」という言葉をいただきました。簡単に答えがあるものを質問して正解を導くのではなく、答えのない問いを投げかけてモヤモヤしてもらう。それに最適な場所が福島だということで、先生は毎年大勢の高校生を連れて行って学びの場にしてくれています。

防災と聞くとイメージするのは、非常食や避難経路だと思います。もちろん準備はとても大切ですが、「避難の準備をしていたかどうかが命を分けました」という被災地に足を運んで聞かせていただいた言葉、被災された方のご遺族の言葉が印象的でした。避難のための準備とはどういうことでしょうか。それは、避難をするかどうかを判断する準備ということです。判断材料をいかに自分たちで準備して持っておくかが大事だと、遺族の方が口を揃えておっしゃっている。だからこれは専門家だけがやるべきことではなく、全員でやるべきことなのだと思います。

そこからわたしが考えた仕組み、現在やっていることは、難しい知識がなくても参加できる「きいてみる防災」というワークショップです。体験しながら考えることで、あらゆることを防災に結び付けて脳の回路を作っていきます。例えばぬいぐるみと防災をどう結びつけますかと質問をしたら、小学生は、中に防災グッズを入れてベッドに置き、いざとなったらそれを掴んで逃げればいいし、避難所では子どもにとっては安心なものになると答えました。また電車というキーワードに対して高校生は、シートの下に防災備蓄を入れておき、電車そのものを避難場所として考えると答えました。さらに漬物というワードを引いたチームは、普段から避難所で漬物を作るというコミュニティを作っておけば、ここが避難所だという認識が生まれ、非常時にはおかずとして食べることができると回答しました。被災した時に白米ばかりで辛かったという経験から生まれたアイデアです。とにかく被災地ではコミュニティが大切だということを教訓として学んでいるのですね。

福島も防災も共通しているのは、当事者は全員だということです。東日本大震災で福島第一原発の事故が起き、では未来はどうすればいいのだろうということが盛んに言われました。そしてその未来はもう来ています。だからわたしたちはもっとみんなでエネルギーのことを考えるべきだし、もっと災害から命を守る方法を考えるべきだと思っています。これはわたしたちの話で、当事者はわたしたち全員です。

わたしの活動に関わっていただくのはもちろん、考えていただけるだけでも嬉しいと思っています。これからこの活動を皆さんのところへより届けやすくなるように、NPO法人を立ち上げる準備をしています。本日のお話が何かを考える時の材料になってくれたら、それだけでこの活動は前に進んでいます。

ご清聴ありがとうございました。

卓話『「受けるより与える方が幸いなり」〜ロータリーのウクライナ支援〜』2026年1月26日

浅田屋伊兵衛商店株式会社 代表取締役 浅田 松太様

浅田屋伊兵衛商店株式会社 代表取締役 浅田 松太様

「受けるより与える方が幸いなり」与えることの豊かさは、他者への思いやりや慈しみの心にも深く通底するものです。そして何よりわたしたちロータリアンが日々の指針とするモットー、超我の奉仕そのものでもあります。

わたしは今から43年前、ロータリーの青少年交換留学生としてカナダに1年間派遣していただきました。世界がいかに広く、人の善意がいかに深いかを知らないひとりの若者であったわたしは、見返りを一切求めずにただ与えてくださるホストファミリーロータリアンの存在とその世界的なネットワークの広さに心から驚き、感動しました。この時受けた大きな恩恵はロータリーの与える精神そのもので、この経験がわたしにロータリー素晴らしさを教え、いつか次の世代に繋いでいきたいという思いを強く抱かせてくれたのです。ではなぜ与えることはこれほどまでに人の心を打ち、幸福感をもたらすのでしょうか。心理的な喜びもありますが、東洋の仁の精神、つまり他者の幸せを願い、そのために行動することが巡り巡って自身の人間性を高め、心の平安や真の幸福に繋がるという考え方に共感しています。ロータリーの活動はまさにこの精神を実践する場なのだと思います。

現在、東京北ロータリークラブ創立75周年記念事業の実行委員長として、ロシアによる侵攻で困難な状況にあるウクライナの子どもたちにコンテナ食堂を寄贈するというプロジェクトを推進しています。2025年9月、ウクライナ支援プロジェクトの具体的な打ち合わせでポーランドを訪れた際に、深い愛情に満ちたおもてなしを受けた瞬間、カナダでわたしを支えてくださったホストファミリーとの記憶が鮮明に甦りました。国や文化が違っても、そして長い時が流れても、ロータリーが根底に持つフェローシップの本質は全く変わっていませんでした。この国境を越えた温かな繋がりこそ、ロータリーでしか体験できない、人生における最も貴重な機会ではないでしょうか。そしてウクライナ支援プロジェクトもまた、かつてわたしがカナダで受け取った恩が時空を超えて形を変え、新たな幸いとして実を結ぼうとしているプロセスなのだと改めて実感しました。

今回の支援は、大阪の高槻市へ留学した経験を持つポーランドのヴロツワフノブンロータリークラブのヘンリックさんがウクライナ避難民の子どもたちのためにUkraine Kids Med Care Projectを提唱されたことが大きなきっかけです。

2024年7月2日にご逝去された近藤眞道さんは、大阪府高槻市で1300年近い歴史を持つ古刹、神峯山寺の第18世ご住職であり、ヘンリックさんが留学していた時のホストファザーでした。わたしも、そしてプロジェクトを一緒に進めている金沢ロータリークラブ会長の北川さんもローテックスとして近藤ご住職には大変お世話になり、多くのことを学ばせていただきました。それだけではなく、青少年交換プログラムの統括組織のアドバイザーとして長年に渡り力強く支援してこられた近藤ご住職は、ウクライナ戦争孤児のために活用してほしいという尊いご遺言と共に、約1万ユーロの資金を委ねてくださいました。この御遺志の重みを深く受け止めています。

近藤ご住職をはじめとする多くのロータリアンの深い愛情とご指導の下に設立されたのが、ローテックスで構成される東京北Exchangeロータリー衛星クラブです。彼らが中心となり、ロシアのウクライナ侵攻からわずか3ヶ月というスピードで支援金をポーランドへ送金しました。ローテックスのネットワークと行動力、そして世代を超えた絆が危機の中で大きな力を発揮したのです。ヘンリックと衛星クラブ、そして共に近藤ご住職の薫陶を受けた者同士がこのプロジェクトで手を取り合うことになりました。

また東京北ロータリークラブが受け入れたウクライナからの留学生クセニアさんとの出会いも、繋がりと支援の思いをさらに強くさせてくれました。クセニアさんの受け入れはまさにクラブ全体の与える精神の表れでした。紛争下にある故郷を遠く離れて過ごす彼女の不安な気持ちに寄り添い、与えるという行動がひとりの若者の人生に光を灯し、そして大きな幸いと活動への新たな動機を与えてくれました。

2024年2月17日、来日したヘンリックさんとともに神峯山寺を訪問しました。この時はまだお元気でいらした近藤ご住職にも同席いただき、ミーティングを行いました。近藤ご住職はウクライナの窮状と支援への思いに深く耳を傾けられており、日本の青少年交換の礎を築かれたご住職が背中を押してくださったこの日の話し合いが、わたしたちの結束を固める大切なきかっけとなりました。その後より確実な支援を行うため2024年11月にポーランドを訪問しました。現地のヴロツワフノブンロータリークラブのメンバーと直接意見交換を行い、その誠実な姿勢と実行力を確認できたことで、わたしたちはコンテナ食堂プロジェクトを推進する判断をしました。こうした様々な経緯を背景として、現在75周年記念事業としてプロジェクトを推進しています。

わたしたちが贈る食堂は、単なる食事の場所だけではなく、家庭の温かさを取り戻すための心の居場所となるものです。それは戦争でのトラウマを抱えた子どもたちの感情的な発達においてなにものにも代えがたい投資です。日本全国のロータリアンへ支援を呼びかけた結果、2025年9月17日時点で497万620円もの温かい寄付が寄せられました。長きに渡り育んできたメンバーとの絆が強固な支えとなり、ウクライナの子どもたちへの支援として形になりました。さらにこの支援を確固たる国際奉仕の基盤とするため、2025年12月にはヴロツワフノブンロータリークラブ、金沢ロータリークラブ、東京北ロータリークラブの3クラブにおいて正式な合意書を締結し、国境を越えた友情と協力を絶え間なく続けていくことを約束しました。これはロータリーの普遍的な価値観である奉仕、誠実、親睦を体現し、困難な状況にあるコミュニティのために手を取り合うという善意と信頼の証に他なりません。40年以上前の交換留学のご縁、神峯山寺での近藤ご住職を交えた対話、現地ポーランドでの視察に基づいた判断、なにより全国のロータリアンの皆様との固い絆によって形になったものです。

本事業を通じて、わたしは国境を越えたロータリーのフェローシップがいかに温かく、力強いものであるかを改めて学びました。志、迅速な行動、交流さらに連帯が繋がり、ロータリーの超我の奉仕というひとつの行動となりました。青少年交換プログラムが持つ価値は、このように世代や国境、さらには人間の精神を超えて受け継がれ、具体的な奉仕活動へと身を結ぶ点にあります。近藤ご住職がわたしたちに示してくださったように、個人の経験が仲間とのフェローシップを通じてロータリーの4つのテストに導かれながら、具体的な奉仕活動へと繋がっていく、わたしたちはこの素晴らしい襷を受け継いでいく必要があります。

ウクライナ支援プロジェクトは近藤ご住職の思いを胸に、この春に大きな結実を迎えます。しかしわたしたちの奉仕活動に終わりはありません。これからも価値観を共有し、喜びを分かち合う奉仕活動を続けてまいりたいと思います。春にウクライナの地で子どもたちの笑顔が輝く時、その喜びは皆様と共にあると思います。

ご清聴ありがとうございました。

卓話『紙の歴史―中国発世界へ(・中東からヨーロッパへ・日本へ』2025年12月1日

一般社団法人日本モロッコ協会会長 広瀬 晴子様

一般社団法人日本モロッコ協会会長 広瀬 晴子様

紀元前2000年以上前、当時は紙と呼ばれる記録媒体が無く、メソポタミアの粘土板に刻字をして記録をしていました。それよりもっと古い紀元前3000年頃には、パピルスという水場に生える草を叩いて縦横に重ねたものに象形文字のヒエログリフが書かれていました。ローマ時代になると丈夫で長持ちする羊皮紙が登場し、貴重品としてキリスト教のバイブルに使用されました。このように紙以前にも様々なものが記録媒体としてありました。

現在の紙の製法の元は、2世紀に中国の蔡倫が発案しました。ぼろ布や麻や綿の繊維をほぐして水に浮かべ、それを漉いて乾かすという製法で、これが現在の製紙法の元、紙の原点になります。中国はシルクロードを経由して紙を輸出してアジアや中東に広がるのですが、製法は外に出しませんでした。その製法が中東へ広がるのは8世紀、600年後のことです。中国は唐の時代、中東ではウマイヤ朝を破ったアッパーズ朝が勢いをもち、戦争で中国に勝ちます。捕虜にした兵士の中に紙を作る技術者がいて、中東でも紙が作られるようになりました。現在のウズベキスタン、綿の産地であるサマルカンドで良い紙が作られるようになり、サマルカンドペーパーが中東に広がりました。同じようにモロッコも綿の産地で良い水があり、良質な紙が作られていたそうです。その頃ウマイヤ朝が征服していたスペインに製法が伝わり、フランスに伝わったのが12世紀と言われています。ここまで長い時間がかかっていて、しかし製法はずっとぼろ布を水に浸して漉くというものだったため手間がかかり、それほど大量に作ることはできませんでした。15世紀になりグーテンベルクの活版印刷が発明され、紙の需要がいっそう高まっていきます。材料が足りず困っていたところ、18世紀にフランスで、スズメバチが木のくずを固めて巣を作っているのを見た科学者が、これは紙に使えるのではないかということで研究をして、パルプを材料とする製紙法を発明しました。これで紙は飛躍的に量産できるようになりヨーロッパに広がっていきましたが、その逆にサマルカンドペーパーやモロッコペーパーは廃れていきました。

日本ではどうかというと蔡倫が発明した紙は、5から6世紀頃に高句麗の僧侶によって日本に伝えられたと言われています。原料はやはり麻や綿の繊維で、大変貴重なものでした。日本最古の紙として、奈良県の正倉院に美濃の家系図が残っています。これが発達して、江戸時代になると楮や三椏を使って生産量が増えていきます。紙の種類も増え、記録としてだけではなく、障子や襖、傘や浮世絵などに使用されるようになりました。明治に入ると西洋からのパルプを材料とした製紙技術が導入され、西洋紙の製造がはじまります。今日本で作られているコピー用紙やトイレットペーパーなどもパルプから作られています。

日本古来の手漉きの紙は、楮や三椏の皮を剥いで冷たい水にさらし、水に溶かして漉くのですが、原料と水が良いことで非常に良質で長持ちする紙ができます。やはり伝統的な紙の作り方は手間がかかるのでなかなか商売にはならないのですが、意外なところでヒット商品になっています。あまり知られていませんが、世界にある古文書の修復には日本古来の作り方で作った日本の紙が必需品です。世界中どこの図書館でも古文書の修復には日本古来の紙が使われています。モロッコで国立図書館ができた時に招かれた際、館長さんが日本の紙は高いということをおっしゃっていました。一般に、現在の日本古来の紙は、東南アジアで生育された楮や三椏を使っています。楮や三椏の製法を東南アジアに広めたことで、確かに東南アジアで生育されれば成長は早いし安いのですが、国や土壌によって品質が変わってしまいますし、日本で生育された楮や三椏を使用した日本古来の紙を売ると値段で負けてしまいます。そこで、友人である当時の文化庁長官に相談をして、世界紙文化遺産支援財団 紙守という小さな財団を紹介してもらい、寄付していただいた紙をモロッコに持っていったら、今までの日本紙は偽物だったと思うくらい日本から持って行ったものは質が良かったとおっしゃっていただきました。この小さな財団は良い紙を世界に送ろうということで、コツコツと活動をしています。

本日は紙の歴史、ちょっと古いところからのお話をさせていただきました。

ご清聴ありがとうございました。



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