東京六本木ロータリークラブ




卓話

2025年12月

卓話『紙の歴史―中国発世界へ(・中東からヨーロッパへ・日本へ』2025年12月1日

一般社団法人日本モロッコ協会会長 広瀬 晴子様

一般社団法人日本モロッコ協会会長 広瀬 晴子様

紀元前2000年以上前、当時は紙と呼ばれる記録媒体が無く、メソポタミアの粘土板に刻字をして記録をしていました。それよりもっと古い紀元前3000年頃には、パピルスという水場に生える草を叩いて縦横に重ねたものに象形文字のヒエログリフが書かれていました。ローマ時代になると丈夫で長持ちする羊皮紙が登場し、貴重品としてキリスト教のバイブルに使用されました。このように紙以前にも様々なものが記録媒体としてありました。

現在の紙の製法の元は、2世紀に中国の蔡倫が発案しました。ぼろ布や麻や綿の繊維をほぐして水に浮かべ、それを漉いて乾かすという製法で、これが現在の製紙法の元、紙の原点になります。中国はシルクロードを経由して紙を輸出してアジアや中東に広がるのですが、製法は外に出しませんでした。その製法が中東へ広がるのは8世紀、600年後のことです。中国は唐の時代、中東ではウマイヤ朝を破ったアッパーズ朝が勢いをもち、戦争で中国に勝ちます。捕虜にした兵士の中に紙を作る技術者がいて、中東でも紙が作られるようになりました。現在のウズベキスタン、綿の産地であるサマルカンドで良い紙が作られるようになり、サマルカンドペーパーが中東に広がりました。同じようにモロッコも綿の産地で良い水があり、良質な紙が作られていたそうです。その頃ウマイヤ朝が征服していたスペインに製法が伝わり、フランスに伝わったのが12世紀と言われています。ここまで長い時間がかかっていて、しかし製法はずっとぼろ布を水に浸して漉くというものだったため手間がかかり、それほど大量に作ることはできませんでした。15世紀になりグーテンベルクの活版印刷が発明され、紙の需要がいっそう高まっていきます。材料が足りず困っていたところ、18世紀にフランスで、スズメバチが木のくずを固めて巣を作っているのを見た科学者が、これは紙に使えるのではないかということで研究をして、パルプを材料とする製紙法を発明しました。これで紙は飛躍的に量産できるようになりヨーロッパに広がっていきましたが、その逆にサマルカンドペーパーやモロッコペーパーは廃れていきました。

日本ではどうかというと蔡倫が発明した紙は、5から6世紀頃に高句麗の僧侶によって日本に伝えられたと言われています。原料はやはり麻や綿の繊維で、大変貴重なものでした。日本最古の紙として、奈良県の正倉院に美濃の家系図が残っています。これが発達して、江戸時代になると楮や三椏を使って生産量が増えていきます。紙の種類も増え、記録としてだけではなく、障子や襖、傘や浮世絵などに使用されるようになりました。明治に入ると西洋からのパルプを材料とした製紙技術が導入され、西洋紙の製造がはじまります。今日本で作られているコピー用紙やトイレットペーパーなどもパルプから作られています。

日本古来の手漉きの紙は、楮や三椏の皮を剥いで冷たい水にさらし、水に溶かして漉くのですが、原料と水が良いことで非常に良質で長持ちする紙ができます。やはり伝統的な紙の作り方は手間がかかるのでなかなか商売にはならないのですが、意外なところでヒット商品になっています。あまり知られていませんが、世界にある古文書の修復には日本古来の作り方で作った日本の紙が必需品です。世界中どこの図書館でも古文書の修復には日本古来の紙が使われています。モロッコで国立図書館ができた時に招かれた際、館長さんが日本の紙は高いということをおっしゃっていました。一般に、現在の日本古来の紙は、東南アジアで生育された楮や三椏を使っています。楮や三椏の製法を東南アジアに広めたことで、確かに東南アジアで生育されれば成長は早いし安いのですが、国や土壌によって品質が変わってしまいますし、日本で生育された楮や三椏を使用した日本古来の紙を売ると値段で負けてしまいます。そこで、友人である当時の文化庁長官に相談をして、世界紙文化遺産支援財団 紙守という小さな財団を紹介してもらい、寄付していただいた紙をモロッコに持っていったら、今までの日本紙は偽物だったと思うくらい日本から持って行ったものは質が良かったとおっしゃっていただきました。この小さな財団は良い紙を世界に送ろうということで、コツコツと活動をしています。

本日は紙の歴史、ちょっと古いところからのお話をさせていただきました。

ご清聴ありがとうございました。



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